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姥捨て山の”真相”に迫る 集落に伝わる伝説と実話

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姥捨て山の”真相”に迫る 集落に伝わる伝説と実話
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 「姥捨て山(うばすてやま)」は実在したのか―。かつて食糧難解消の「口減らし」を目的に、年老いて働けなくなった老人を山に遺棄していたという、日本各地で語り継がれている伝承。昔話、また、深沢七郎の小説「楢山節考」やその後の映画化によって広く知られることとなったが、この伝承を残す地が兵庫県篠山市内にもあった。市の南西部に位置する集落「見内(みうち)」。その昔、老人を生きたまま棺桶に入れて、集落の裏山にあたる「松尾山」の山腹の急峻な尾根から谷底に向けて投げ落としていたというのだ。人々はその場所を「ガンコガシ」「ガンコロガシ」などと呼び、今でも地域の年配者の間で、悲しい歴史秘話として伝わっている。一方、住民の間に今も伝わりながら、その存在を否定する研究者もいる。住民や研究者の協力を得て、「姥捨て山」を巡る真相に迫った。

確かに残る伝承、内容には差異

 見内では「ガンコガシ」、その周辺の集落では「ガンコカシ」「ガンコロガシ」などと呼んでいる。「ガン」は漢字で「龕」と書き、遺体を納める棺や輿を意味するという。

 生まれも育ちも見内というKさん(74)。年老いて農作業ができなくなると、村の若者数人がその老人を棺桶に入れ、ガンコガシに投げ落としたという話を村の古老から聞いた。勢いよく斜面を転がり落ち、亡くなるか、瀕死になった老人を再び担いで尾根伝いの先にある高仙寺の阿弥陀堂(堂屋敷)まで運び、そこで埋葬したという。

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 「昭和48年ごろまで、村人総出でガンコガシ付近の植林地の下草刈りなどを行っていたが、その際、当時の総代や先輩からよく聞かされたものです」

 見内の南東に隣接する集落、波賀野に暮らすSさん(81)は、ガンコカシから棺桶を投げ落とし、そのまま立ち去ったという話を母親から聞かされた。「なんともむごい話ですが、昔は村が貧しかったので、少しでも食いぶちを確保するためだったのでしょうか。運よく生きていた場合のために棺桶の中に握り飯を入れていた、ということも聞いています」

 見内出身で、近くの波賀野新田で暮らすTさん(87)は、「祖母から幼いころ、70歳になったら役人の命令でガンコガシに行かなければならなかった、という話を聞いた。だから子どもの頃は怖い場所と認識していた」と振り返る。「しかし、そこは子どもで、仲間数人と繰り出してガンコガシの急斜面を滑ったり、アケビを採ったりして遊んだ。子どもながらに肉親を捨てていた、なんてことはありえないと思っていたけれど」

 見内の西に隣接する集落、住山のMさん(83)も、「住山方面に向けて棺桶を投げ捨てていた、と親から聞かされていたので、『なにごとか』と思っていたが、さすがに人を生きたまま捨てるなんてできないだろう、と信じてはいなかった」と話す。

 住山の別の住民は、「生きたままではなく、死者を入れた棺桶を住山に向かって投げ捨てたと聞いている」と言い、同じ集落に暮らしながら伝承内容に差異がある。

 見内から直線距離で約8キロ離れている同市今田町下立杭の生まれで、出版社の平凡社を創業した下中弥三郎(1878―1961年)の伝記「平和に架ける虹―人間・下中弥三郎」(立石巖著、東京印書館発行)にも、口減らしの話題にふれた文章で、「六十歳を越したら桶の中に入れられ、かいまわり池をまわって見おさめをして鬼がゆりまで上り、そこからころがり落とされたのです。カンコロガシされたのです」―という一節が登場する。ガンコガシの伝承は、かつて周辺地域で広く知られていたようだ。

ガンコガシへ、ふもとから1時間

 記者はKさんの案内でガンコガシに向かった。

 集落最深部の民家から歩いて15分ほどで、まず「焼香場」と呼ばれる場所に着いた。スギ林の入り口の林道脇に少し盛り土をした形跡がある。「最後の別れを惜しんだ場所と伝わっている」とKさん。ここから先は屈強な村の若者数人が代わるがわる老人を入れた棺桶を背負って、目指す尾根「ガンコガシ」へと向かったというのか。

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 林の中を流れる沢に架かる丸太橋を3本渡ったころ、ガンコガシへの道しるべ「オオカミ岩」に到着。高さが5メートル近くあろうかと思われる巨岩が鎮座している。

 息を整え、歩みを進める。「ガンコガシへの正規のルートは大雨で崩壊しているので、最短距離で目指しとる」と話すKさんに従って、道なき道の急斜面を這いつくばるようにして登り、ようやく尾根にたどり着いた。

 山のふもとから歩き始めて約1時間。「ここがガンコガシや」。

道幅狭く、谷底まで70メートル

 そこは尾根道の両脇が崩壊し道幅が狭くなった場所で、最もくびれている個所の平坦部分は幅が2・5メートルほどしかない。この尾根道は見内と住山の集落を東西で分かつ境界でもある。尾根両脇の谷の勾配は急峻で、この急斜面には今でこそアカマツやソヨゴなどの雑木が茂っているが、Kさんによると、40数年前までは赤土がむき出しの状態だったという。

 「この尾根から谷底までは70メートルはあるんとちゃうか。もし、本当にここから投げ落とされていたとしたら、そりゃひとたまりもなかったやろうなあ」

 ここからは、ひとりで遺体を埋葬したとする高仙寺跡そばの阿弥陀堂跡へ向かった。高仙寺は1913―21年(大正2―10年)にかけてこの場所から移転され、現在は同市南矢代にある。

 ガンコガシの勾配に匹敵する急峻な斜面を登り、さらに一段高い尾根にたどり着いた。尾根伝いに進み、歩くこと約1時間。道中、3体の石仏を横目に見ながら阿弥陀堂跡に到着した。

 ここには昭和10年代ごろまでわら葺きの阿弥陀堂が建っていたというが、今ではその建物の部材と思われる苔むした木片がところどころに転がる約20メートル四方の広場になっていた。北の隅には墓石と五輪塔、地蔵がたたずんでいる。

研究者は「姥捨て山」の存在否定

 なぜ集落からこれほどまでに離れた地へ遺体を埋葬しないといけなかったのか。そもそも本当にガンコガシの慣習はあったのか。

 その疑問に、2011年から見内の姥捨て山の伝承を調べ、このほど冊子にまとめた同市古市の宗玄寺住職、酒井勝彦さん(75)は、「口減らしを行うことは考えられない」と断言する。史料や当時の思想、そして、見内という集落が「神域」とされていたことなど、さまざまな角度から歴史をひも解き、姥捨て山の存在を否定する酒井さん。話は続いた。


引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190413-00010000-tanba-l28&p=2

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